茗荷谷を過ぎて目が覚めた。砂賀葉二が眩しさに目を開けると空は晴れていた。この時季の低い太陽が赤い電車の片側に惜しみない光を当てている。後楽園までのわずかな地上と狭い雲の切れ間がぴたり合った瞬間の中にいた。久しぶりの丸ノ内線。乗車直前、砂賀葉二は旧式の車両に舌打ちをした事を恥じた。コイツが呼び込んだ奇跡。ガラガラの車内の貸し切り状態のシートの中央で砂賀葉二はじっと癒されていた。忘れかけていた日なたの感覚に何もかも忘れて、ただ恍惚のだらしない表情を太陽に向けている。衣服にたまっていた湿気が発蒸しふわふわと全身が膨張する感覚。楽しい。やがて圧倒的な存在感でドーム球場が太陽との間に流れ込むと再び陰の中に閉じ込められる。その時、砂賀葉二は再び目を閉じてすると目的地まで決して目覚める事はないのだろう。
蜜を集めていると中年の女性に大根で尻を叩かれた。砂賀葉二は幼少の記憶のひとコマを思い出していた。工場長の “お言葉” は続いている。うとうとと首が脱力をし始めると、例によって脳裏に他愛無い過去がからからと映写された。
ミドリさんから久しぶりに手紙が届いた。すらすらっと書いてあるのにとっても主張してくる筆書きの宛名を見て、もしやと思ったら案の定ミドリさんからだった。丁寧に封を開けるとふわと懐かしい匂いがする。中には2つ折りにされた和紙のカードが1枚入っていた。色々な繊維をスいてみてはベランダの窓に貼付けて和紙を手作りしているミドリさんを想像した。
見覚えのない徳利が洗い桶にあった。手に取るとささやかに重い。何かの存在感を中に感じると無性に水を入れたくなった。でもそっと戻す。
鳩尾の辺りがふいに苦しくなってふと文庫本から視線を上げると、案の定、タイプの男が向かいの座席に座っていた。
三毛猫をうちの母はミケランジェロと呼んだ。本当の名前はトラである。「それもねぇ。。だって三毛猫なんだよね」とボーイフレンドは私の名付けセンスにも不服そうであった。
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