くねくねで砂賀葉子の人生は少し変わった。
3日前。
「で、、捕まえたのか?」
夕飯の席でその日の出来事を話していると、
庫太朗は今月の眼鏡をくいと何度か直した。
レンズ越しの視線は淡い疑念色でも確かな羨望の粒がキラキラと混ざる。
つぶらな瞳がはっきりと潤って、その夜から庫太朗が変わった。
端的に言えば、ようやくわたしを大人扱いし始めた。
夫の庫太朗はわたしより500日の年上。
ぴったり500日
庫太朗を選んだ理由はと問われれば、本音では真っ先にこの事が浮かぶ。
年の差はちょうど500日なの
なんて素敵なぴったり感、、
と友人には密やかにそうニヤけながら紹介したものだが相手の反応は大層鈍かった。
1才半弱かぁ。。まぁ許容かなぁ。。などとさらりと流される。
末っ子の庫太朗は年下に慣れてない。
年下と付き合うのもわたしが初めてだと言っていた。
だから、、というわけではないだろうがとにかく世話を焼いた。
「こっちの方がいいよ」などと庫太朗は何でも決めた。
それが「どうこれ?」なんて聞いてくる。
友人は良かったじゃないと言った。
いいのだが、、ちょっとめんどくさいなぁ
と元来 “お任せ” なわたしは思わないわけでもない。
くねくねを捕まえた日は晴れていた。
自転車だったのでそのハズだ。
スーパーで買い出しの後の恒例の立ち読みをキャンセルしてマンションに飛んで帰った。
部屋に着くと手早く夕飯の支度を済ませてしばらく振りのパソコンに向かってみた。
ネットに繋ぎ “くねくね” と打ち込み検索。
99万3千件のサイトにヒットした。
順を追ってホームページをのぞいていったが、
47件目で首や肩の辺りから慣れぬ身体が硬直し始めた。
気がつけば目の奥もじんじんと疲労していたのでそこでやめた。
とったメモを見る。
スチールあるいはステンレス製の容器
フタは開けない
無害
いくつもの憶測の中で共通していた事はその3点だった。
砂賀葉子は部屋をざっと物色する。
取り急ぎ食卓にあったヨックモックの缶を空けた。
100均で買ったタッパーからくねくねを移してきちんとフタをする。
くねくねが見えなくなり一息ついた。
あれから3日が経った。
砂賀葉子はしばらく目の前の洋菓子の缶を見ていた。
朝からくねくねが静かである。
あれからフタは一度も開けてなかった。
昨日迄は姿は見えなくとも確かな存在感を発散していたくねくねだが、
今日は缶の中から伝わるものはなく消えたようにしんとしていた。
フタを取りたい衝動と戯れながら、
缶の中身だったチョコレート菓子の小袋に手を伸ばした。
どうしたものか、と思いつつさくさくと6つ食べたところで、
無性にコーヒーが飲みたくなったので台所に立った。
くねくねから離れて部屋掃除など家事に没頭する。
遅めのランチをあり合わせで済ませると、うとうとと連ドラの再放送を見流した。
ベランダの窓に夕景の始まりを確認したとき庫太朗からメールが入る。
遅くなる 残業 夕飯はいい、ごめーん
くねくねの事を返信しようかとも思ったがやめた。
マミコサマにみせよう
砂賀葉子はくねくねの入った缶をそぉっと紙袋に入れた。
テレビを消してカーテンを引く。
火の元、電気など諸々を指差し確認するとドアに鍵をかけ自転車に股がった。
砂賀魔美子は砂賀葉子の義妹である。
砂賀葉子は10才年上のイモウトをマミコサマと呼んだ。
敬意と親しみとたっぷりの愛嬌を含みマミコサマと呼んだ。
マミコサマは砂賀葉子を初めて会ったとき葉子さんと呼んだ。
2度目からは葉子ちゃんになり、家族となってからはヨーコと呼んだ。
信頼と親しみ、そしてたっぷりの愛情を含みヨーコと呼んだ。
砂賀魔美子は砂賀葉子の弟、砂賀葉二の勤務する工場で経理をしていた。
ある日の朝礼中。
砂賀葉二が失神したのをキッカケに2人はお近づきになり、
そしてあれよあれよと結婚した、、という事が半年前の披露宴で面前に紹介された。
砂賀魔美子は仕事をすっぱりと寿退社した後、
夢だったのよね、と言い実家に程近い熱帯魚屋でパートを始めた。
何事もスマートにテキパキとこなす嫁は、
のんびりおっとりの砂賀の家に入るとすぐにその存在が際立った。
イヤミのない明るさと物怖じしない気っ風、
そして何より酒豪である事で酒好きの一族に受入れられた。
その点、下戸の庫太朗は不運だと砂賀葉子は思う。
あっという間に確固たる “居場所” を確保した魔美子に対して、
婿養子の庫太朗はいまいち親戚家族にウケが悪かった。
当初、
長男の嫁を持った事で両親からの “かまい” が明らかに減った事が砂賀葉子には複雑だった。
しかし、
義妹のそこはかとない自然な魅力に触れているとそんなある種の嫉妬心はやがて完全に消えた。
年齢相応に雑学にも長けるマミコサマ。
砂賀葉子は慕いマミコサマ〜と言いながら何かと相談を持ちかけた。
アクアプラン中根が見えると店の前でマミコサマは水槽を洗っていた。
長い黒髪を高めに後ろで結わき腕まくり。
エプロン姿で長身をかがめて大物と格闘していた。
マミコサマ〜
「おー ヨーコぉ」
あいたたたと腰にげんこつを打ちながら砂賀魔美子は立ち上がった。
「どうこのサイズ、いいでしょぉー、、中古ではまず出ないわよ」
ひと1人入れそうな程の巨大なガラスの箱に満足そうに微笑んだ。
一通り挨拶をすませると本題に入った。
砂賀葉子は実はとくねくねの話を切り出す。
紙袋から慎重に取り出された缶を受け取ると、
マミコサマはほぉぅと言って真剣な面持ちで何かを確かめる様に表面を撫でた。
そして慎重にふちに手をかけるとゆっくりとフタを開けた。
一瞬、しゅっと何かが萎む様な空気が抜ける様な時空がわたし達を包む。
わたしはマミコサマを見ていた。
マミコサマは手にした缶の中をじっと見ていた。
「これは、くね ね」
そう言ってわたしを見てニコリと笑う。
くね?
マミコサマによればくねはくねくねになる前の段階らしい。
しかし、このまま人の手にあってはくねくねになる事はなく逃がすしかないとの事だ。
どうしよ
庫太朗
どう説明しよ
きっとがっかりする
庫太朗
怒るかな
「くねだって十分珍しいのよ」
動揺するわたしにてきぱきと逃がし方を説明するとじゃぁとマミコサマは二の腕をぽんぽんと2つ叩いた。
冷たいなとちらと思う程あっさりと仕事に戻った。
そんな態度にマミコサマは何かメッセージを込めたに違いなかったが、
わたしは何かをずるずると引きずるようにその時はただマンションに帰った。
次の土曜日は久しぶりに庫太朗と外でデートした。
くねくねの事を話した後の庫太朗の誘いだった。
2人で映画を観て買物をして少し早めに地元に帰る。
土手まで行って1日持ち歩いたスチールの缶を出した。
教わった方法で教わった場所で教わった通りのタイミングを待つ。
そしてそっとくねを逃がした。
すぐにマンションに帰りたくなくて夕方の川辺を歩いている。
もうすっかり虫が出ていた。
わたしはなんとなく庫太朗の2歩後ろを歩き始め、
庫太朗はわたしのがっかりを汲んでかとんとんとそのまた2歩前に進んだ。
「魔美子さんは、、くねくね、、捕まえたのかな」
ふいに庫太朗が振り向いて言った。
わたしは駆け寄って4歩の距離を埋めていた。
こころをおににして、、ないしょ
「なんだそれ」
だれにもいっちゃいけないんだってさ
庫太朗は笑った。
そして、手をつないだ。
庫太朗がそっと手を握ってきた。
「今日、外で食おうよ」
何食べたいと庫太朗が手に持ったヨックモックの空き缶を軽快に叩く。
庫太朗がもう “お任せ” じゃないわたしに問いかける。
ぴったり500日年下のわたしの返事を待っていた。
庫太朗は再び1歩2歩と前を行く。
楽しそうにコンコンと缶を鳴らしていた。
マミコサマは言っていた。
(くねくねは くねを逃がした者にだけいつか見つかるのよ、そしてくねくねの事は自分が選んだ大切な相手にだけ話せるの、すると何かが起こるわ、特別な何かが)
庫太朗にはまだこの事は黙っておく。
あー 1日フライングぅ〜
わたしは叫び、庫太朗の眉間を指差した。
初めて2人で選んだ来月の眼鏡。
自慢げにかけ替えると、庫太朗はにっこりと前歯を見せた。
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