けーじどーしゃけーじどーしゃ
信号待ちをしている仲澤茶之助は妙な声を聴いた。
植え込みのある辺りから声は響く。
そっと近づいた。
。。自動車?
雨は上がり空に極細の三日月が見える。
今夜もスクランブル交差点は異様なエネルギーに満ちていた。
仲澤茶之助は1時間で残業を終えて予定より少し早めに渋谷に着いた。
マサミ先輩からの連絡はまだない。
WALKMAN のヴォリュームを下げた。
けーじどーしゃっ
。。軽自動車
“声” をハッキリと聞きとった時、
左折車が早まる横断者を寸前でかわすとぱちんと信号が変わった。
仲澤茶之助は端に寄り信号を1度やり過ごす。
待ちわびた雑踏がざわと揺れて、
両側に留まっていた乾いた熱が、
行き交う群衆同士に引っ張られ中央で入り混じった。
やがて一斉に点滅する信号。
追い立てられる人々。
一瞬のクリア。
再び道路にエンジン音が轟きだすと例の声が始まった。
植え込みから一番近いレーンを車が通過する度に「軽自動車」と連呼している。
これもこれもと確かめるように唱えられるのだが17台通過して、
実際に軽自動車だったのは3台だけだった。
最後の「けーじどーしゃ」を聴いてタクシーが通過する。
ちがうっつーの、、
仲澤茶之助はふふとツッコミを入れながら横断の体勢を整えた。
ケタタマしく携帯が着信して直後に信号が変わった。
動きだし3歩目でほぼ全員が交差を始め視界が狭まる。
仲澤茶之助はそんなスクランブルの感覚を懐古してささやかな悦を覚えた。
ちらと “声” を振り返ると、
植え込みの陰、道路側の縁石にいたのはナマズだった。
スチロールにはられた水面から器用に顔だけ出している。
ぱくぱくと動かす大きな口の脇にオマケの様に小さな目玉が2つ付いていた。
ナマズがその立派なヒゲをぴんと弾くと目が合った。
2秒の見つめ合いの後、
ふんと鼻を鳴らすとナマズはその小さな目を閉じた。
。。ムカ
ナマズとの線が後続の横断者に切断されると仲澤茶之助はすぐに前を向いた。
“街慣れてる” 者を見定めてその背中にぴたりと身を寄せる。
メールの中身を確認しながらすんなり対岸に歩き着いた。
群衆の中で “センター街” に向かうのは仲澤茶之助と1組の若いカップルだけだった。
極端に暗いその “過去の場所” にいちいち目をくれる者はなく、
先に入った男女も何かに気がついた様にきゃあきゃあと引き返して来た。
かつての繁華では風も止まりじっとヌルい空気が沈滞していた。
もっかの最大勢力は高校生でも外国人でもなく巨大化したカラスである。
ファーストフードやドラックストアの廃墟の影で黒い怪鳥が夜明けをじっと待機していた。
仲澤茶之助は騒音を体感しなくなると WALKMAN の再生を停止した。
イヤホンで凝った内耳を湿った空中に開放するとしんと “無” が脳に伝わった。
変わり果てたかつての庭をぐるりと見回す。
目を細めてみてもそこに確かにあったはずの “すべて” は滲まなかった。
ABC-MART の交差点でほおと懐かしんでいて2度目の着信。
仲澤茶之助は何百、いや何千という巨大カラスの視線を一斉に浴びた。
姿はなくも細い針の様なものが次々とちくちく身に刺ささる。
前後左右、空け放たれたビル。
その全てのフロアの奥からのギロリと動く無数の眼光を感じていた。
“物音を出してはならない”
センター街にできたルールをうっかり破ってしまった瞬間だった。
仲澤茶之助は破廉恥に鳴り続ける携帯をアスファルトに置くと、
下手に刺激せぬよう初速を抑えながらもすぐに音源から離れた。
背中でばさばさという音。
奇声。
一気にトップスピードに足を回転させると、
慌てる筋肉をそのままに全速力でいくつも路地を抜け、
ぜえぜえ言いながら放置バイクに身を隠した。
窮地を脱したか。。そう思った時、ズズンと下からの強い衝撃。
頭の上でビリリとガラス窓が震えてすぐにグラグラと地面が揺れた。
(地震)
仲澤茶之助は身動きが取れず、ハンドルにしがみつきながらその場にへたり込んだ。
目の前でたばこの自動販売機が倒れる。
(大きい)
頭上の軋む窓に注視していると上空に影を見た。
カラスだった。
巨大な黒が2羽急降下してくる。
んな時に。。
見つかったと観念すると懐かしい声がした。
「ナカサワー」
マサミ先輩だった。
上空は風が少し冷えた。
あれよと巨大カラスの背中にいた。
「はいよ」とマサミ先輩は自分のカーディガンを投げてよこす。
「あとこれも」
仲澤茶之助はセンター街に置き去りにした携帯電話をキャッチした。
どうもと会釈すると、マサミ先輩の左腕にはあの時のナマズが抱かれていた。
あ、そいつ、、と指差すとマサミ先輩は嬉しそうに何か叫びだしたがよく聞こえなかった。
やがて、マサミ先輩はこっちに手を降るとどんどん上昇していった。
ナマズのヤツは相変わらずの憮然とした表情でこっちを見下している。
マサミ先輩とナマズが豆粒となったのでカーディガンを羽織ってみた。
すると風も気持ちいい。
極細の月がやたら眩しくてしばらくしっかりと目を閉じた。
巨大カラスの背中はツルりとしてまるでプラスチックの様。
2度、轟音が上を通り過ぎたのはおそらくジェット機だろう。
そろりと目を開いてみると眼下に日本。
所々ピカピカと光っていた。
東京の光の辺りでくっきりと黒く丸く浮き上がっていた。
位置からしてリセットした渋谷の中心だろう。
光の白に囲まれた中の小さな闇の黒はまるでナマズの目だった。
オマケの様な小さな目が面倒臭そうにこっちを見上げている。
あんにゃろ
仲澤茶之助はふふとそう呟くとあとは黙って宇宙を見ていた。
巨大生物にすべてを委ねたまま、
飽きる事なくいつまでもずっとそこを見ていた。
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