エレベーターが到着するのを待つ間、
洋平は「出発」の最終チェックをしていた。
締めたベランダ消したガス電気を高速で脳にて反芻する。
そして忘れ物がないか、
ポケットに触れながら頭の中でカバンを開いては今日の持ち物をおさらいしていた。
新しい部屋に越してから身に付いた習慣のひとつである。
新生活が開始してからも数日は、
これまで通りに、
部屋を出る前に諸々の「忘れ」を確認していた。
玄関で靴を履きながら、
ポケットにもカバンにも入れ忘れがなければ、
右手の靴べらを元の場所に戻して、
あれば、
予め玄関に出してあるゴミの袋を左手で持ち上げる。
最後に玄関の電気を消して、
さあ、と解錠しノブに手をかけるのが洋平の一連の儀式だった。
ドアを押し開き一気に外の空気が入り込む。
外に出て、
手を添えて静かにドアを閉めながら、
鍵を指すまでが助走、
回して抜いて、
歩きながら鍵をポケットに押し込みながらスタート、
そこからはそのまま目的地まで一気、
なるべくノンストップで、
気持ちとして。
それが洋平の「出発」のリズムだった。
洋平はエレベーターのあるマンションに住むのは初めてである。
エレベーターで時間を食う、
それはマンションの最上階に住んでみて初めて知ったのだった。
リズムよく部屋を出て颯爽と十メートル進むと、
毎回「そこ」で洋平の足はストップさせられる。
そして、
洋平はリズムを変えた。
このエレベーターはどうやら、
絶対に最上階で停まっている事はないのである。
嫌われてんなー、
洋平は半分本気でがっかりしながら折れて、
リズムをずらしたのだった。
マンションの最上階という環境で、
洋平が初めて非の打ち所を発見した瞬間である。
それも「強いて上げるなら」という小さな小さな不満だった。
エレベーターに乗りこんで下に降ろされているまでを助走とし、
地上階で重力を完全に取り戻し、
扉が開いた瞬間スタート。
洋平は「出発の最終確認」のタイミングを上でエレベーターを待っている時にしたのだった。
見上げると箱の現在地を示すランプがとんそしてとんと順調に上昇してくる。
静寂の中でぶうんとワイヤーを巻き上げる低いモーター音だけが響いていた。
表示の点灯がいよいよすぐ下のフロアに移った時、
洋平は忘れ物に気がついた。
どうやら初めて部屋にトンボ帰る。
洋平は奥歯を軽く噛んで片目を閉じた。
そもそも、
入念な確認癖のついている洋平は、
忘れ物をする事はほとんどんない。
それもあって、部屋の外まで引っ張っての「確認」だった。
「忘れ物」は今日必要な物なので選択肢は一つしかない。
部屋に戻る
それしかないのに、ランプを見つめたまま洋平の脳はあがいていた。
何か策はないのかと悔しさを和らげる様に頭がぐるぐる回転する。
チン
上品なチャイムが一つなり待望していたはずの箱は到着した。
カバンを挟んで停めておく
結局、そんな初歩的な迷惑行為しか浮かばない自分を憐れみながら、
するすると開く扉に合わせて洋平の視線もぼんやりとスライドする。
霧
エレベーターには昼間の陽気がとじ込められていた。
時刻はそろそろ18時になる頃である。
ゆっくりと漂い出す陽気に洋平はタンポポを思った。
春っぽいアオっぽい匂いが洋平を包む。
引き込まれる様に洋平はふらふらとエレベーターに乗り込んだ。
箱の中はいっそう春が濃い。
あ、と思い洋平は閉まる寸前の扉に間一髪手をかけた。
すいません、、とばかりにエレベーターは慌てて再び扉を開く。
廊下に出ようと体を反転させる時、
箱の中から洋平の視線に何やらの存在感が絡み付いた。
意思のようなものの伝わるままにすぐ手前の隅っこに目を下げる。
タケノコだった。
洋平は半身でドアを制しながらしゃがみ見る。
空き缶ほどの小ささではあるが確かに瑞瑞しく活きたタケノコだった。
そっと触れて、軽く持ち上げる。
ずしとささやかでも確かな手応えを伝えてタケノコは上がらなかった。
タケノコは置いてあるのではなくてたしかにそこから顔を出していたのである。
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