池までの道すがら、
案外、桜ってあちこちにある、
今更そんな事に気づきながら豊橋タモツは十一本目の空き缶を拾った。
中にたまっている一昨日までの雨を沿道の花壇にあける。
左手のビニール袋に入れるとこんと空いた音がした。
自宅から徒歩で二十五分の所に区民公園がある。
中央に控えめな池のあるその公園を豊橋タモツは池と呼んでいた。
ここ数ヶ月、その池までの散歩が豊橋タモツの「時々の」日課となっている。
元々は受験勉強のリフレッシュだった。
深夜の眠気覚ましにと完全防寒で外の空気を取込みに出たのである。
それが、入試が終わっても今日まで続いていた。
冬が緩み深夜だったはずの時間が早朝へと変わる。
そして、最近はそろそろもういいかなと思い始めている。
もはや眠気を覚ます必要はないので、
なんとなく空き缶的なものを拾うという二つの意味でクリーンなゲーム性を加えてみた。
それはこの無意味な習慣への自分の気持ちの落としどころとしてはとても効果的であったのだが、
以外と空き缶は落ちていない。
そこで、時には遠回りなどもしながら、毎回順路を変えた。
それは更なる効果を生み、発見が目白押し、自分がいかに自分の家の周りを知らぬか、
それを知って行くのである。
何より、空き缶的なものの
二週間が経ち、自宅から池へのルートも廻りつくした頃、
最初のルートに戻ってみるとまた新たな印象が新鮮でモチベーションは確保されるのである。
そんな事を幾度と繰り返しながら、
お散歩もそろそろもういいかな、
と最近思い始めているのだった。
しかし、この散歩は不思議である。
半年歩きながらまだその途中で豊橋タモツ誰にも会った事がなかった。
「やめる」何かいいキッカケを探し続けている。
もしかしたら、
誰かに遭遇したらその日をもって「よし終わり」とすっきりするかもしれない、
豊橋タモツは待っていた。
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