「どうやらここだな」
ハカセはメガネを押し上げた。
ハカセと言っても実際は博士ではないし、
押し上げたのはメガネというあだ名のクラスメートをではなく実際の眼鏡をである。
「その説明いるかしら」
編集者であるワタシが横から口を挟んだ。
「読者ってのは多岐にわたるものです」
作家先生であるワタシはそれっぽい言葉でその場を煙に巻く。
「でしたら最初から眼鏡と漢字で書かれては」
そう来たかと思いながら本日三杯目のコーヒーのおかわりを貰いに席を立った。
つまり息を抜きに目線を変えた。
昼下がりの店内は半分が空席といった程度に落ち着いていた。三人のウェイトレスが雑談をしている。全体を見渡せる位置でなんとなく二人がカトラリーの準備をし一人がメニューを拭きながらどうやらディナー版を差し入れていた。ナイフフォークスプーン箸が定数に揃い春色の布巾にくるまれてはセットされ小さなバスケットが一つまた一つと並んでゆく。
三人からは時々、ゆるりとした屈託のない笑顔が順番にあるいは一斉にこぼれた。抑えた声のトーンと下げ気味の目線に「仕事中」の意識がそれぞれに現れているのが健気であり妙に愉快であった。のほほんといういつどんな日本人が言い出したのか脱力系の妙な単語がぴたとあてはまる。平日の午後にぽっかりとできたそんな平和な空間だった。
そして、
店長が現れクモの子を散らしたように、
そして、
店長が現れクモの子を散らしたように、、
コーヒーを注ぎながらゆっくりと二回、頭で予言を唱えてみる。
見ない様に席に戻った。
ふふ。
鬼店長の出現は叶わずにウェイトレス達はまったりとやわらかいオレンジの光を放っていた。
ハカセは荷台の後方より幌の隙間から一人外の様子をうかがっていた。
視界には青々とした草原が延々に広がっている。
初めて話に聞いた時、わざと大袈裟にイメージしてみたはずの世界がそのままそこにあった。
まるで海のよう。
ハカセはそう思った。
ヒトの膝上の身丈の鋭い草が反射している。
昇ったばかりの太陽が朝露にしっとりと濡れた新緑に乗って並走した。
朝の強い風が草の先を撫でる。
風の通り道だけ緑が明るくなって草原に風紋が現れては消えた。
まるで波のよう。
しばらく見とれているとふごごという寝言のような寝息にようやく我に返りハカセは車内の暗がりを振り返った。