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今日も地球がまわるからワタシはぐるぐる夢をみる、、 ふわふわ浮かんだ妄想を短編小説に込めました、、ユメミルアナタへ愛を込めて☆             
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ウメちゃん、

不意に片丘茶知子の口先をついた。

エレベーターを降りてエントランスをくぐると視界が突き抜ける。狭い通りを挟んだマンションの向こう側一帯にあった古いアパート群が年度末に取り壊されてから、西の空が広々とむき出されていた。日没から、しばらく続いていた昼間の余明は完全に消えている。二時間前、片丘茶知子がベランダから眺めていた夕景はもうそこになかった。
できたばかりの夜空。
極細の月がくっきりと浮いていた。
西の空の少し高い位置でニンマりと夜がまるで笑っている。
それを見て片丘茶知子はウメちゃんを思い出したのだった。
ウメちゃんは近所に住んでいた幼馴染みでもなければ、
学校のクラスメートでもなければ、
仲良しの従姉妹でもなくって、
ウメちゃんはカメである。
すっと線を引いたような今夜の月がまるでウメちゃんの口に見えたのだろうか、
とにかくウメちゃんがぽんと喚起されて、
片丘茶知子は思わずその名を呼んだのだった。

静けさにシャッター音を響かせる。
片丘茶知子はほぼ真っ黒いだけの画面を一応保存した。
目の前、確かにそこに見えている切った爪のように細い月が記録されたはずである。



記憶のフチでのそりとウメちゃんが首を出していた。

あの日、
順番に手の平に乗せてもらった時のしんとしたあの重みを思い出している。

そして、

そして、それから、

それから、それだけだった。


素手の平のあの初めての感触。



あの時、、

誰かといたのだったか

何才だった

どこで

小学校、教室?

いや

幼稚園かも

大人が

先生?

いや、上級生?

クラスメイト

男子



小さな右手に感じた、ただ、ずしりとした生命っぽい重み、

成長した今もなんとなく、

でも、

それ以外のウメちゃんに関する記憶はなにも覚醒してこなかった。



へんなの



もしかして、ウメちゃんってあの亀の名前じゃないとか。

あの時、

右手にのっていたのは間違いなく亀だった。

じゃあ、

亀がウメちゃんじゃないとしたら、

何がウメちゃん、

誰がうめちゃん。


ニンマりの細い月が喚起した亀とウメちゃん


ウメちゃん

あの亀をホントにそう呼んでいたのか、私、

手の平にのっていたのは本当にウメちゃん?

ウメちゃんは本当に亀?

亀に「ウメ」って、私つけるかな?

違う、

ともだち、

せんせい、

ウメちゃんは誰だ。。




見たこともないようなくっきりと細い月に、

亀を思い出してからウメちゃんが出てきたと思ったけど、

もしかしたら、

亀もウメちゃんも同時に思い出したのか、

となると亀とウメちゃんは同時にその場にいたのだろうか。

もしかして、

亀を手にのせてくれた人がウメちゃん?

だとしたら、

誰だっけ



片丘茶知子は記憶の整理をしながら、

自分が時間軸を前後できていないという事だけとりあえず受入れた。

進んでも進んでも同じ場所に帰ってきてしまう。

ぐるぐるぐるぐると堂々巡っていた。

かつて私はウメちゃんに関わっている、

はず、程度までウメちゃんへの確信はぼやぼやとし始めていた。



名前って大事だな、と片丘茶知子は改めて思うのである。

「角部屋の若者」と昼間、名前の事を話したのを思い出した。

彼は名前を全力で考えてからつけると言って、

一方、私は昔からその時のノリでつける。

その性格がこの妙なやきもきを招いているのかもしれなかった。

やはり名前は大事、と思うのである。


角部屋の若者の名前はまだ知らなかった。

彼も私の名前をまだ知らない。


ねぇキミはさぁと私が真面目に言えば、

彼はじゃあ君はどうなのかねとニヤニヤしながら言うのだった。

名乗らないのは、二人で示し合わせたわけでもなくなんとなくそうなっているのである。

出会いの当初はまあ普通にぎくしゃくとしながら、

慣れた今となっては、「名も知らぬ」をずっと保持している事が貴重にすら思えていて、

そんな特別(変)な関係をお互い楽しんでいた。


彼は「珍しい名前」っぽい、

いや、実は超シンプルかも、

なんて事をずっと想像できるなんて、

とっても奨励したい関係だと片丘茶知子は思っている。



片丘茶知子は自分のサチコという読みが嫌いだった。



やはり、名前ってなんだか大事、文字通り「おおごと」なのである。

片丘茶知子はそこに着地した。



少女、片丘茶知子はなんでも自分の名前をつける。

みんなでつけた水槽の金魚の名前も、

委員がつけたニワトリ小屋のひよこの名前も、

こっそり自分だけの名前をつけて呼んでいた。


ウメちゃん、、

なににつけたんだ。。





事を済ませて、

帰る雰囲気を締めくくるのはベランダでの黄昏だった。

片丘茶知子は高い所が好きである。

それが角部屋の若者に気を許す理由として小さくない部分でもあった。

今日も例によって刻々じんわりと一日が弱まってゆくのを見ていたのである。

いつの間にか部屋に入っていた彼がベランダに戻ってきた。

そして言う。

「大人になってからの醍醐味ってさ」

時間の配分だよね、と遠くに視線を向けるのだった。

そういうのが自然な角部屋の若者。

渡してくれたマグカップのくず湯が湯気を上げていた。

私は少しかき回す。

スプーンを持ち上げてその先をゆっくりと吹いた。

配分ねぇとつぶやいてから慎重に口をつける。

さっきは金柑、今度は抹茶の味だった。

「最近ハマってるんだ」と嬉しそうに言ってから、

残していいからといつも通りに付け加えるのである。


陽射しが傾いて風が出て春に戻った。

昼間はまるで初夏。

北よりの冷えた夕風と熱々のくず湯のバランスが絶妙だった。
ついでに、小綺麗に保たれている広過ぎないベランダにキャンプチェアを出して、そこにゆったりと座っているこの空間と、ランドマークなどなにもない殺風景だけどぐるり見渡せる展望景観が片丘茶知子には十分に贅沢なセレブ的演出。
いつかは私も住みたいねこんな角部屋、
なんて片丘茶知子は半分本気で羨んでみたりもするのだった。




自転車のキーを差しながら疲労感を確認した。

比例してまったりと緊張が緩んでゆく。

人間、オスなんかに気を許し切らないのが片丘茶知子のルールだった。

ゆっくりと一周首を回す。

このまま、

帰ってご飯いっぱい食べたらぐっすり眠れそう、

どうやら、

ずっと昼夜が逆転していた生活が今夜でもとに戻せそうだった。



着信。

「いまどこ? わーすれもの レンタル」

角部屋の若者にまだ駐輪場よと返事をした。

降りて来るという申し出をいいわとサラりと拒絶する。

今日はもういいという気分だった。

昼間借りたばかりのDVDとCDの鑑賞の許可と返却を託してみる。

角部屋の彼は笑い含みでオッケーしあっさりと終話した。

口調から気分を読める希少な男。


実はもう少しイってるのかもな、

片丘茶知子は想像する彼の年齢範囲を若干上方に修正した。



すかさず着信。

今度はメールだった。

。。モリノネコから、

角部屋のアイツは絶対にシツコくしてこない。

ツくせない男なのだった。



うわの空でメールをざっと見流しながら、

ないよね、

少なくともコンビニには、とあきらめる。今夜の夕飯のメニューを空き腹に聞いていた途中だった。脳からの返答はウナギかウドン。で、そう言えば「ウナギウドン」ってあんのかな、と自問していたのだった。で、ないよねと自答する。

モリノネコ様からのメールは、

投げかけてあった休暇明け飲み会(お土産渡し会)の希望日程だった。

無二の親友の口調文にたいそう和む。

大人の醍醐味って、とタイトルを変えて返信を書き出した。

角部屋の彼(年下説保留中)を引用しながらひひと笑う。

醍醐味をダイゴミに変えて下書きに保存した。


携帯電話をぱたりと閉じて、

顔を上げると例の月が目に入るので、

記憶のあの時と同じ様に今夜は携帯を自分で手の平にのせてみる。


もちろん携帯はじっと動かなかった。


なぜなら亀じゃないから、

でも、

なんだか、微かにぐつぐつとした様子が伝わってくるのである。

それが妙で、そして同じ予感がした。

手の上でじっと甲羅にとじこもっていた亀。

ウメちゃんはしばらくするとにゅうと首を出したのだった。

そんな予感である。


目の高さまで持ち上げて横からじっと携帯を見た。

なんだかこぽこぽとした生命っぽさが伝わって来るから不思議。


ウメちゃん


片丘茶知子は携帯電話を丁寧に仕舞った。


それからもう一度、

極細の月をじいと目に焼け付ける。

向き直りブレーキを握り込むと、ひょいと自転車に股がった。


わざと高めにしてもらったサドルから、

昼間の陽気がほんのりと伝わるから、

真直ぐ帰って、毛布と枕、干せば良かったなとふと思ってから、

いや、打ち消した。

今日は、と断って帰っていたら映画が観れたし、

あの新曲も、、と考えて、こらときっぱり打ち消した。

タラレバ撲滅が三十路の片丘茶知子のスローガンである。


背筋を伸ばして座り直した。


なんとなくマンションを見上げる。

あの角部屋で彼がベランダに出ていた。

多分タバコを吸っている。

一緒にいる時も吸えばいいのに、片丘茶知子はそう思った。

おそらく手を振られたので一応こちらからも小さく振り返しながら、

やっぱり、

それは彼らしくないかも、とタバコの事を思い直す。

今日も来てよかった、

そう確認してからさてとペダルに体重を乗せた。



大通りに出てから、時々、車が片丘茶知子を追い抜いたり、対向したりする。

どれも小さな車だったので静かにすれ違って行った。

ひとけのない静かな夜である。

片丘茶知子は急がずにゆっくりと家路を進んで行った。

新生活でもないにのに勢いで買ったぴかぴかのMUJIチャリの周りで、

生ぬるい空気を冷えた夜風が時々かき混ぜる。


なんだか異国っぽい


片丘茶知子はいいなと思った。


素敵な春の夜を味わいながら、

そんな諸々が片丘茶知子を少し高揚させてゆく。



じーめんはーあたためにくくてさめにくいー


湧いてくる言葉を陽気なメロディにのせていた。

アパートまでの真直ぐな道をふらりふらり、

月とか彼とか今夜の色々に見守られながら、

なだらかに気分よく走っている。


そして、

片丘茶知子は気がついた。



そうか


「撮った」という行為が記録されたのである。


さっき撮った月の写真はとりあえず保存した。
その時にまとわりついたもやもやした無駄感が解消しそうな予感がする。


写ってなくてもいいんだ

あれをキッカケに自分が頭に月の姿を思い出せればいいのだった。
記録の役目はそれなのである。
真っ黒い画面でもウメちゃんが喚起できればそれだけで意味があるはずだった。



交差点まで来て、信号に従ってペダルを漕ぐ足を止める。

携帯電話をひっぱり出した。

さっき撮った月の写真を選択する。

片丘茶知子は「ウメちゃんのクチ月」とファイル名を変更した。

ウメチャンノクチツキ

口に出しながら想像する。

このファイルを開く未来の自分を少し想った。



すっかり忘れている今日の出来事

角部屋の彼

この瞬間の気持ち

空気

そんなのとかも思い出すのか


ウメちゃんとクチ月に

「まっくろ」ないしは真っ暗が加わって

記憶のパズルを自分でレベルアップさせては

ますます混乱してるかも


あるいは

もしかしたら

ウメちゃんをはっきりと思い出したりして

ああーウメちゃんだ

そうそうウメちゃん

ウメちゃんってウメちゃんじゃん




信号が変わる直前、後ろをちらと振り返る。


背中に笑いかけていた。

今夜の美しく細い月。


いっそうたのしそうに

くっきりと

すっきりと

にっこり

やさしく

そっと

ずっと
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Edit by : Tobio忍者ブログ│[PR]