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今日も地球がまわるからワタシはぐるぐる夢をみる、、 ふわふわ浮かんだ妄想を短編小説に込めました、、ユメミルアナタへ愛を込めて☆             
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三途の川を渡り終えると、
立ちこめる深い霧に呼応してか、
ようやくの様な物足りない様なぼやけた心持ちだった。


 7日前、廣島宏茂は社員用トイレで死んだ。
 たまたま居合わせた若い社員にがはがはとゴルフジョークを聞かせていた。
 用を足して、しゃがみたくなったのでその場にしゃがんでみた。
 その様子を若い社員は丸い目を一層丸くして眺めていた。
 廣島宏茂はそうしたくなったので続けて身体を横たえた。
 「あ、、社長」という声が微かに耳に届いたがそのまますうと幽体離脱した。


だらだらとした気持ちで水中を進んでいると霧でよく見えぬ足元で感触が変わった。
目を凝らすとずぶ濡れの革靴が乾いた丸石の原を踏んでいる。
どうやら三途の川を渡り切った。


 94才、廣島宏茂は社員用トイレで死んだ。
 昨年発表の大企業の重役の平均寿命を1年上回っての他界。
 痛みも苦しみも無し。
 眠る様にというよりも電池が切れた様に臨終した。
 

手頃な大ぶりの石を見つけ腰を降ろすと少し霧が晴れてきた気がする。
それが単なるタイミングなのかあるいは何者かの仕業なのか、
見渡す景色には廣島宏茂の他には誰一人いなかった。


 68時間後、タイルに横たわった遺体は清掃員によって発見された。
 廣島宏茂はそのまま黙って放ったらかしたあの社員を呪った。
 憤慨しながら幽体で無人の社内をふわふわと暴走してみたが、
 最終的には「近頃の若者はわからん」とすんなり感情を収拾した。
 現世で毎度そうしていたようにあっさりと自分と折り合った。


やれと腰を上げると廣島宏茂は再び歩き出した。
視界は完全ではない。
とりあえず、水から離れる方向に進路をとった。


 2億円、大枚がはたかれ無名の男の葬儀は営まれた。
 実の母親でもある会長の強腕により遺書に列挙された全ての事が行われた。
 茶目っ気のつもりで軽薄に記されていたその内容は肉親縁者全員の顔を引きつらせた。
 都会のど真ん中で突如始まったその奇怪な宴にマスコミはなぜかまったく関心を示さず、
 関係者全員が肩をなで下ろしたのだが、
 ただ一人だけ廣島宏茂は会場を遊泳しながら頬を膨らませていた。
 
 
三途の川からずいぶん離れたはずだった。
気がつくと足元にちらほらと雑草の様な植物が生えている。
顔を上げると立ち込めていた深い霧も浅い霧程度にはなっていた。
廣島宏茂は立ち止まり辺りを見渡すと遠くに人影のようなものが見える。
近づくにつれそれが人ではなくどうやら木である事が判明した。
がっかりした様な安心した様なこっちの世界によく合った曖昧な印象を持って低木に近づく。
自分と背丈が変わらないので若木だと思っていたが老木だった。
そして、
よく見ると “それ” は井之上流太郎だった。


 1週間が過ぎて廣島宏茂は幽体のまま再び深い無意識へと落ちた。
 そして、安らかに三途の川岸で目を覚ましたのだった。


井之上流太郎は一つ年上の幼馴染みだった。
中学に上がる時に親の事情で引越してしまって以来だからかれこれ80年振りの再会になる。

「リュウちゃん」

廣島宏茂は老木に声をかけてみる。
伏し目の老木はちらと視線をあげた。

「ヒロシゲ」

じっと廣島宏茂を見ていた老木はがさと枯れ枝を揺らして声を絞り出した。
それはなんとも木っぽい声でまるで何百年ぶりに発声したかのように霧に消えた。

「やっぱりリュウちゃんやろ 懐かしいなぁ」

廣島宏茂は目の前の老木の樹皮をひたひたと触る。

「あれからどうしたん」

廣島宏茂は老木の周りを小躍りしながら問いかけた。

「イロイロ アメリカ」

老木は言葉を選んでいる様な顎が不自由な様な苦しいトーンを響かせた。

「へぇアメリカ行ったんか」

「ヒロシゲ」

「俺か。。俺も色々だ」

廣島宏茂はそう言うと老木にどかと対座した。

「昔からリュウちゃんだけだよちゃんと“宏茂”って呼んでくれるの」

「ヒロシゲ」

「俺。それがすげー嬉しくてさ」

「ヒロシゲ」

「名付けた親でさえ “ヒロシ” だからなぁ “げ” ぐらい付けろっての」

「ヒロシ」

老木は深いシワをハニカんだように歪めて笑顔をつくった。
廣島宏茂も深いシワをつくりがはがはと破顔した。

2人はよもやま話に暮れた。

時を忘れいつまでもいつまでも話し込んだ。

1時間が経過し2時間が経過し3時間が経過する、

4時間が経過し5時間が経過し6時間が経過する。

徐々に2人は変化していた。

お互いその事には気づかぬままに。

辺りの霧は一向に浅く広くその世界を覆っていた。



「リュウちゃん、なんかおっきくなってない」

ようやく廣島宏茂が老木の成長を指摘した。
井之上流太郎はずいぶん太くなった幹に顔立ちをくっきりとさせ、
増えた枝には青々とした大きな葉を茂らせていた。

「ヒロシゲ ノボレ」

老木の声は生気に溢れていた。
黙ってうなずき枝に手をかけた廣島宏茂は10才に還っている。


2人は思い出していた。

放課後、
裏山、
木登り、
一番高いクヌギ、

着いた頂上、
空に届きそうな、
見渡す景色、
近い太陽、
遥かなビル、



「ツカマッテロ」

井之上流太郎の唸りのような叫びが荘厳に周囲に響いた。
右腕の枝に廣島宏茂を乗せたままするすると老木は伸び始める。
みるみる大きく高くなって霧を突き抜けた。
そこで老木は成長を止めた。

10才の廣島宏茂は枝の上に立ち上がりぐるりと見渡した。
雲海の様に霧が浅い部分深い部分とグラデーションで永遠に広がっている。
あっちの世界の夕焼けに一瞬見るピンクの世界が永遠に続いていた。

「リュウちゃんあれなんだ」

遥か先に塔が見えた。

「アレガタイガンノシルシ」

三途の川を渡り終えていない、全然渡り終えていなかった。
廣島宏茂は塔を見据えて幹をひたひたと叩いた。

「リュウちゃん俺行くよ」

老木はゆっくりと縮み再び霧の中に入ると元の高さに戻った。
ただ、その枝葉はツヤツヤと輝いており全身に生気がみなぎっていた。

「リュウちゃんはどうすんだ」

井之上流太郎の右腕からゆっくりと足を外す。
廣島宏茂は94才に戻っていた。

「リュウちゃん残るんか」

老木はこたえなかった。

幹に刻まれた深いシワからジワリと樹液が滲む。

廣島宏茂はすっかり太くなった幹にひしと抱きついた。

井之上流太郎はかささと新芽を持つ枝をやさしく揺らす。

ひたひたと手の平にその感触を残すと塔を見た方角に革靴を向けた。

廣島宏茂はしばらく歩くと足元が水に浸かるのが分かった。

後ろを振り返ると老木はすっかり霧中にあった。




廣島宏茂はあの日から前だけを見て歩いていた。
見渡す限りの霧の中を何年も歩いている。

三途の川の中でたった一人。

いつか辿り着く対岸の塔を目指しながら、
そのシワシワの手の平にはいつまでも生気の記憶が残っていた。
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