久しぶりに接待のない休日が始まろうとしていた。
にもかかわらず洋平はしまったと思いながら半分目を覚ましていた。
夏の装いのまま窓を全開にして寝たため洋平はベットの上で凍えている。
毛布は手の届く範囲になかった。
シーツ替わりに敷いていたタオルケットにくるまってみても、
露出していた足や腕は完全に冷えきっていていつまでもずしりと重い。
後悔と情けなさを嘆いていると頭は次第に眠りから覚めていった。
窓を閉めたいと思いながら洋平は動けずにいた。
身体を起こした途端に頭痛だなんだと風邪の初期症状に襲われる気がする。
ポケットコイルの自慢のベットのまん中でただじっと身を固めていた。
誰か窓をしめてくれないか、どなたか毛布を持ってきてくれませんか、
完全に目覚めた頭の中で儚(はかな)い願いの堂々巡りがグルグルと意味もなく繰り返されていた。
ひと呼吸おいて、
そんな事のバカバカしさとホントにヤバいという身の危険にようやく意を決した。
寝返りの勢いで上半身を起こしベットに腰掛ける。
そのまま立ち上がり窓際まで歩くと案の定頭痛の前兆がずんずんとこめかみの奥に響きだした。
やれやれとカーテンを開けると外は小雨だった。
風に乗った雨がベランダに入り込んでいる。
夜から降っていたのだろう、網戸を抜けて絨毯の縁を濡らしていた。
洋平はふとたまっているだろう洗濯物の事を思った。
深く嘆息する。
不意にははと口元が緩むと洋平は一層落ち込んだ。
億劫であったが行かねばと奮い立ち洗面所へと向かった。
普段の倍の時間でようやく服を脱ぐとシャワーをとり浴槽に向け蛇口をひねる。
水が温まるのをじっと待つ間、吐き出す息がやたらに熱かった。
熱めにしたシャワーを浴びながらこわばった身体をほぐす様に全身をよく擦る。
うっすらと汗をかいてみて調子がやや上向いた。
浴室から出ると、洋平は朝食の準備を始める。
コーヒーを丁寧にセットした。
豆の香りに食欲が次第に湧いてくる。
今日はさすがにヤメとこうと思っていたが洗濯機に向かった。
さっき脱いだ物とバスタオルも放り込む。
乾燥機なぁとその必要性を自問しながら電源を入れた。
威勢よく注水が開始され洋平が洗剤の箱に手を伸ばしたその時、、
どんどんと玄関を何者かが強くノックした。
洋平は一瞬動きを止めた。
玄関の方向に全神経を集中させる。
どんどんどん
再び。
時刻はまだ7時になっていなかった。
こんな早朝に宅配はない。
オートロックにかからないのはマンションの住人だけだった。
洋平には心当たりがない。
マンションに洋平の知る人物はいないし洋平を知る者もいないはずだった。
洋平はインターホンを使わずにドアに近づいた。
息を止めて覗き穴をうかがう。
その瞬間、思わずぅわと声をもらすとドアから1歩跳ね退いた。
レンズの向こうに熊を見た。
鉄扉を睨む洋平に緊張が走る。
洋平は何かを見間違えた事を確信しつつももう1歩ドアに近づけなかった。
声を出してしまった手前このまま無視する事もできない。。
間もなく、3度目のどんどんが来るのか。。
小さい葛藤の最中、洋平は何やらくぐもった声をドアの向こうに聞いた。
ん 人間?
何と言ったのかはわからない。
ただとりあえず人間の言葉が聞こえた。
日本語かどうかも定かではないが少なくとも熊の唸(うな)り声ではない。
洋平は1歩前に再びドアの向こうを覗き見た。
レンズの向こうには人がいた。
確かに男が1人ドアの前に立っている。
洋平がじっと観察しているとそのポンチョを着た初老の男が視線を上げた。
見えているはずはない
男はじっと洋平を見据えるとそのままじわーっと顔を近づけて目玉を接近させた。
再び声を出しそうになり洋平は慌ててわざと大きな音をたててカギを開けた。
密閉の玄関に冷気が一斉に流れ込む。
ドアの前にいたのはウィザードだった。
洋平がウィザードを見るのは2度目だった。
洋平は記憶を辿った。
実家にウィザードが来たのは洋平が小学校に上がる前の事だった。
ウィザードは見た目30才前後の青年であった。やはりマントで身を包み三角帽子をかぶっていた。突然の訪問者に一家はばたばたと騒ぎながら総出で出迎えた。結局その日ウィザードは夕方まで居た。帰るという段になりまた家族は総出で見送った。みんなへとへとに疲れながらも妙な一体感と達成感に浸っていた。少年洋平にはそんな雰囲気が心に残っていた。そして「ウィザードは何でもお見通しなのよ」というおばあちゃんの一言が特に鮮明に記憶に残ってた。
そういえば休日に全員揃っていたなんてあの日ぐらいだったな
洋平は不意に思い出した。
目の前の初老のウィザードをまじまじと見る。
ポンチョはマントの様にも見えた。
着古された布地の独特の光沢が角度によってはビニールの様な安い質感と見間違う。
ドアが開くとすぐ老人は手に持っていた三角帽子をかぶった。
本当にウィザードか
洋平の目が疑念に濁る。
その時、熊の正体が現れた。
男の肩からひょっこり顔を出したのはもちろん熊ではない。
洋平がじっと目を凝らす間もなく小動物は地面に飛び降りた。
まさに目にも留まらぬスピードでまず老人の足下を2周する。
そのまま玄関に入るとぁわと素っ頓狂な声を上げる洋平の股間を駆け抜けた。
振り返るとリビングの入口で行儀よく座る猫がコチラを見ていた。
あ、あれは
「猫じゃないフェレットじゃよ」
え
「じゃ、失礼するよ」
洋平の肩をぽんと一つ叩くとウィザードは部屋にあがりこんだ。
ウィザードは何でもお見通し。
洋平はおばあちゃんの言葉を反芻した。
ドアを閉めた。
ウィザードの脱いだ古びたサンダルを揃える。
立ち上がると再び頭痛の前兆がこめかみをノックした。
洋平の足取りは重い。
しかし、リビングへ入っていった猫、フェレットとウィザードをとにかく追いかけた。
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