頬をぺしぺしと叩かれて中野富鞠子はようやく1ミリだけ目を開けた。車内の蛍光灯がやたら眩しい。まぶたを閉じた。
帰らないと
明日も朝から仕事である。ぐっすりと眠ったお陰か頭はどうやらスッキリしていた。
「終点ですんよ」
あ、すいませんと顔を上げると車掌は年老いたテナガザルだった。
「もう車庫に入れるんですんよ、ささ」
テナガザルの車掌は独特のアクセントで急かした。中野富鞠子は向かい合う7人掛けの長いシートの間の床で寝ていた。
(終電逃してタクシーに乗せてもらったはずなのに)
あ、あのこれ何線、、
話しかけると車掌はすでにそっぽを向いていた。
ったく、、(うちの猫と一緒だな)
中野富鞠子は謎解きを諦めて目の前の獣を観察する事にした。幸い泥酔で回っていた視界は落ち着いている。テナガザルの車掌は座席によじ登ると長い腕を突き出した。ワイシャツの袖からにゅうと毛むくじゃらが伸びる。そのままひょいと飛び上がると吊り革を掴んだ。ぶら下がって2度3度と反動をつけるとひょいひょいと交互に吊り革を手繰っていく。車掌はウンテイの要領であっという間に先の車両へと移って行った。
若猿かも
中野富鞠子はよぼよぼだのと決めつけた事を改めた。そして頭上の吊り革に手を伸ばす。やってみたくなった。久しぶりに握るプラスティックの輪は小さい。
(小学校に上がる前、、上がってからもかなこいつを握るのに憧れたっけ)
ぐぐと握った両手に体重を預けていく。最後に足を曲げるとぎりぎり地面から離れた。ぶら下がった所までで身動きがとれなかった。腕力が重力とせめぎあう。合えなくシートにへたり込んだ。
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