「ペン、、いいっすか」
斜め前の席からクルクルパーマが振り向いて言った。
念が通じる。
(キラり)
見上げると教室の時計は四時半を示している。
開始時刻になった。
新入生部活動合同説明会が予定通り始まる気配はない。
窓の外では初夏の陽射しが幾分やわらいで見えた。
放課後の風が葉になった桜を大きく揺らしている。
新入生はどんどん集まってきていた。
どうやら場所は合っている。
単に主催者がルーズ、という事の様であった。
入学式が終わり、健康診断、オリエンテーションと従順に儀式をこなした我々はいよいよ今週から授業が開始されている。同時に新入生達のテンションは例外なく上がり一部の連中は心配なほど跳ね上がっていた。気持ちはわかる。期待と不安で引っ張り上げていた振り子がせーので動き出した。
今まさに。
(でも私は。。なんかまだ)
え いまどこ
じゃもっかいかけて
もういるけど まだみたい
やりましょうよ
せきとっとくよ
最新の着音やメロディーが一つ鳴っては切られまた別のが鳴っては切られた。
囁きがいくつも生まれてはぽつぽつと消えて、また生まれる。
絶え間ない話し声の小さな粒は浮遊した。
漂って別の場所でくっつき合ってはかたまりとなる。
ざわめくかたまりがもくもくと広い教室を支配し始めていた。
あちこちで起こる大小の笑いに押されてざわめきが揺れている。
集まった若い話し声が大教室で反響していた。
わんわんとした喧騒がすり鉢状の空間で前寄りにつれ高くなる天井にぶつかっては降り注いでいる。
え それしらない
あとでいくいく
まだみたいっす
もうかった
おつかれすー
(屈服していた)
両手は文庫本を目の先で支えるばかりで、まだ頁を一枚もめくっていなかった。
耳からのノイズが目で読んだ文字情報をハイスピードで追い抜いて意識を占拠する。
脆弱な集中力が疎ましい。
(集中力というより、度胸の問題。。周り 気にかかる。。居場所 ない)
後半の文化系からでもよかったのだが、別にする事も無いので見物する事にした。
(する事も無いから。本当に? 実は参加しておかないと不安 でしょ)
でも、ここではまだ私を知る者はいない。誰一人。
(何これ、不安。 また。。少し焦りますよ、実際。多分、焦りですよこれ)
乗り遅れたのか。。完全に私一人。
学生委員的、いかにもという黒髪ショートの女子学生が音もなく現れて壇上に立った。レトロな髪留めがカワイかったが口紅が赤過ぎる。彼女は教室を見回してから大きく息を吸い込んで一度何かを言いかけた。渦巻く喧騒にすぐに断念する。ホワイトボードに向き返り板書を始めた。後について来たメガネの男子学生が大量のプリントを抱えたままボードの脇に立っている。黒髪からの合図でメガネが動き出した。彼は最前列の各机に両手の紙の束をいくつかの山に分けて丁寧に置いていく。やがて何か挨拶っぽい一言二言を残し二人は教室から出て行った。
は
きょうやんねーの
なんてかいてあるん
どようっておればいとだよ
えなになにー
まじ
なんでなんで
え いくっしょ
かえろかえろ
体育会系の部活説明会は延期になった。
文化部の説明会は予定通り五時半に始まる。
前の机に置かれたプリントをとりあえず手に入れようと教室中の学生が動き出した時、教室の前の入口からがやがやとお調子のグループが登場した。
「なにもう終わり」
ばかデカいヘッドホンを首にかけた汚い髭の男が意外に高い声を張る。いい声であった。周りの男女が意味もなくけらけら笑っている。おそらく内部生である彼らの、特に中心にいる汚い髭の男は身のこなしに独特の余裕がみなぎっていた。ただそれだけが私に付属校出身だと思わせる。すぐに数人の新入生が彼のもとに説明しに駆け寄った。
教室の大半がなんとなく彼らに注意を向ける中で私は最前四列目から席を立った。
プリントを取りに行く。
クルクルパーマを遠目にちら見する為にわざと逆側の机の山に回り込んだ。
汚い髭男とその取り巻きが壇上の前を通り過ぎようとした時、五メートルの位置でクルクルパーマがすっと右手を上げた。指でピストルをつくっている。横に倒し汚い髭の鼻先を指した。
(な、なにすんの)
私の緊張をよそに汚い髭は目を細める。口許をゆるめると同じ様に右手を上げた。握った手と手がこつんと触れる。
(なんだ、友達いんじゃん)
安堵と落胆。いつも独りだったクルクルパーマが誰かと話すのを初めて見ている。一言二言、髭と話してからクルクルパーマはじゃあなと自分の顔の横で再びピストルをつくった。
(彼も内部かな)
話しを終えると髭は周りを連れ立って教室を後にした。
(あれ、行かない)
クルクルパーマは髭の取り巻きには目もくれずだらりと同じ姿勢で最前三列目の彼の席に座っていた。
(ふぅんそうなんだ)
クルクルパーマはいつも通り独りになった。
教室を占めていた新入生の大半が出て行って、
開け放たれた前後のドアからざわめきもすっかり吐き出された。
クルクルパーマは腰を少し上げるとそのまま腕を伸ばしプリントを取った。
私は教室の後ろに周ってから席に着く。
気を落ち着ける様に文庫本を開いてみた。
ただ手を埋めて開いている。
そして、、ほとぼりの冷めた教室でクルクルパーマが不意に振り向いた。
「、、ボールペンとか」
そう言いながらクルクルパーマは細い手首をちょんちょんと揺らし宙を書いた。
慌てて落としそうになった文庫を机の上に伏せる。
隣の席のバックに手を伸ばし手帳を探った。
一旦ドイツ製のシャーペンに触れてから手帳を戻す。
思い直しちょいカワイめのボールペンをペンケースから選び彼にさし出した。
「すぐ返すから」
最高の笑顔できっぱりとそう言うと、
受け取りがてらごく自然にペン回しを一つした。
クルクルパーマの左手の指先で私のキロメトリコがトンと踊る。
真黄色のキャップがくるりと描いた円の残像を再生している間にクルクルパーマは前を向いていた。
パチんと私の殻が消えた。
クルクルパーマが声をかけるから。
そう。
シャボン玉が割れる様に。
突然この時この場所で。
クルクルパーマが振り向くから。
なんかひんやりとした空気が胸に入り込んでくる。
新鮮な。
澄んだやつ。
あと三十分。
おそらく文化部の説明会はきちんと開始するから。
それまで僅か二十三分間。
秒にして残り千三百八十。
どうする。
話すか?
いや、
四年弱にしよう。
明日も。
クルクルパーマ。
その一つ斜め後ろにそぉーっと座る。
私の場所。
始まる。
(キラり)
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