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今日も地球がまわるからワタシはぐるぐる夢をみる、、 ふわふわ浮かんだ妄想を短編小説に込めました、、ユメミルアナタへ愛を込めて☆             
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だった好きな人と「さよなら」などをしたのはちょうどもう先月。。レンタルショップでしばらく素通りしていた邦画の棚で足を止めた。。そして久々に1枚手にしてみて。。思わぬ好演の永作博美に惚れた。。。。人のメンタルの “強さ” “弱さ” は表裏一体であると思う。。その時々で相手の様相は変化しその人の印象は逆転する。。そんなつかみ所のなさ。。意外性に刺激され新鮮な風が人間関係に吹き抜けては活性したり引いたりのらりくらり。。永遠の振り子。。それが楽しい実社会。。テレビや映画ではそうもいかず。。エンディングまでにキャラクターをはっきりさせない事は観客を置き去りにするキケンがある。。映画が監督のマスターベーションに終わらぬ様に “弱い主人公が実は強い” あるいはその逆。。はたまた “弱い者を弱いまま消す”事で観る者にべっとりとその印象をくっきり残したり。。そんなテクニックでキケンを回避する。。。。今回観たDVDの永作博美は最後までつかめなかった。。キケンな映画である。。現実社会ではなかなか希有な設定の待子(まちこ)という役が “強い女” なのか “弱い女” なのかという曖昧さを見事に滲ませていた。。永作博美は動いていた笑っていた唄っていた叫んでいた。。。。絶望のラストであっけらかんと変わらぬ生命力をみせるのだが。。すぐにもプツリと切れてしまうのではとどこか心配していた。。どうなる待子。。ハラハラしているとエンドロールが流れ出し無事に最後まで物語に包まれながら観終わったというわけだ。。。。旦那は炭焼き職人で田舎者の宍道(しんじ)。。この役に永瀬正敏がハマっていた。。自分の中で “永瀬正敏” は俳優という枠を越えてやや神格化している。。画面に出るだけでその存在感に圧倒卒倒お微熱御免状態であって。。だから演技云々を感じられないし語れない。。ただ今回。。意外性が胸の高鳴りを冷静にした。。宍道は待子を残して最後に死んだ。。それがとても意外だった。。今迄。。それが内面であれ外面であれ「這いつくばってでも生きてくしかねぇんだよ!...クソ」といつだって狂犬な役が永瀬正敏であると思い込んでいた。。だから。。アブノーマルな宍道を静かに殺した永瀬正敏に「ほぅ」という感じが残った。。「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」タイトルがいい。。。。こんな映画話をいつも楽しそうに聞いてくれていた人が去って。。夏の夜カタカタとキーを打つ。。どうしようもなく。。いや。。どうしようもあるからか。。幸か不幸か。。2008。。いい夏かそうでもないか。
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