鳥の国に行く。
「うんうんそれでそれで」
いつか、、
奥さんがまだ元気な頃、目を輝かせて身を乗り出していたのが鳥の国帰りのマミコサンの土産話にだった。そんな事を思い出したので鳥の国に行ってみる。
今朝の事。
駅。
定刻通りに通勤快速がホームに滑り込む。
連なった銀色の客車は規則的に減速するとやがて定位置でピタリと静止した。
目の前でドアが開こうとした時、
砂賀庫太朗は乗車を待つ列から外れるとそのまま列車を見送った。
一掃されたホームで乗客はすぐに次の列車への列をつくる。
そんな人々の流れに逆らって階段を下りてしまうと砂賀庫太朗はズル休みを決定した。
鳥の国は、、
行くのは容易いのだが帰り方を間違えるとそこでの “記憶が没収される” 。マミコサンによればそうらしい。ただそこに “奥さんの元気” があるかもしれない、そんな藁(わら)にも縋(すが)る気持ちだけで砂賀庫太朗は未だ見ぬ場所に踏み込む決意をした。とは言え、砂賀庫太朗は鳥の国に関して何も知らない。とりあえず、駄目元で改札の若い駅員に聞いてみると、あっさりバスターミナルとの答えを得られた。行くのは “容易い” 、、砂賀庫太朗はマミコサンの言葉を再び思い出していた。
バスターミナルのある東口は広く開けていた。
砂賀庫太朗は初めて駅の “こちら側” に訪れた。
駅ビルのつくる影がなく直の日差しが暑い。
がちゃがちゃとランドセルを鳴らしながら小学生がバスに駆け込んだ。
通勤通学の人々の手にはハンカチかタオル、扇子あるいは日傘が握られている。
毎日使っている西口とはずいぶん違う光景がこちら側にあった。
引っ切り無しに出入りする幾台ものバス。
乗る人降りる人、乗り換え、バスからバスへ、電車からバスへ、バスから電車へ。。
ここにもあった朝のラッシュを砂賀庫太朗はしばらく興味深く観察していた。
やがてターミナルの人と車に一連の流れのある事に気づく。
砂賀庫太朗はその場を後に乗り場に近づいた。
発着所に大きく表記されている番号の若い順に乗り場を確認していく。
路線バスだけでほぼ街全体をカバーしている、
バスだけでかなりの遠出もできる、
そんな事などにいちいち感心しながら調査していると、
最端、9番と記された停留場所、そこがどうやら鳥の国の入口であった。
最近新設されたような真新しい雰囲気のその場所だった。
まるで川の急流の岸の付近。
葦(あし)もとの溜まりのごとくそこだけゆったりと時間が流れていた。
バスはすでに停まっていた。
路線バスよりは小さく見えるその車の付近で一服する運転手らしき男がいる。
近づいて確認すると中で待てとドアを開けてくれた。
無人の車内を一番後ろまで進み座席につく。
見通すバスの内装は至って普通であった。
しばらく迷ってから会社に電話を入れた。
「奥さんの “元気” を探しに行く」と正直には言えず体調の著しい不調を装う。
受話器を取ったのは総務の須木田さんらしかった。
わかりました、お大事にどうぞと短いやりとりに不安を残したまま電話は切れる。
意外とあっさりと事が済み拍子抜けのまま座席に浅く座り直すと両足を目一杯伸ばした。
仮病の初演技を反芻しながら携帯電話の電源を切る。
目を閉じるとゆっくりと眠気が漂った。
ゆっくりと海底へと沈んでいくような意識の中で車内アナウンスが微かに聞こえる。
ぼそぼそと面倒クサそうにマニュアルを読み終えると運転手はエンジンをかけた。
どるんと震動が伝わって鳥の国行きのバスは重い体を始動する。
じっとりと背中に汗を感じ目が覚める。
西に傾き始めた太陽がもろに顔に当たっていた。
停車するバスの車内は空だった。
窓の外。
駅の東口。
バスターミナルの一番奥。
今朝と同じ光景がそこにある。
ただ、車外で一服する運転手は鳥だった。
どうやら鳥の国には行ったらしい。。
はたして奥さんの “元気” は見つかったのだろうか。
心地よい放心のままなんとなく見慣れた駅前の様子をうかがっていると運転手と目が合った。
やっと目が覚めたなと言う様にクチバシをニヤリと歪めるとぷっとタバコを吹き捨てる。
時刻を確かめてからバスへと近づいた。
砂賀庫太朗は深くシートに埋まった身体を起こす。
立ち上がりゆっくりと車内を進むと急激な血の巡りが心地よかった。
夕焼けチャイムが響き渡り街に17:30を知らせている。
懐かしいメロディが間もなく暮れる今日の名残を喚起するが、
砂賀庫太朗の今日の記憶は曖昧だった。
フロントガラスの向こうでは運転手が砂賀庫太朗の降車を待っていた。
ひとつ思い出して携帯電話の電源を入れる。
そうだろと言う様に鳥の運転手はクルミの様な立派な鼻をひくひくと動かしている。
電話を胸ポケットに戻そうとした時、手の中が小さく振動した。
るるるるとシンプルな音が指の隙間からもれている。
きっと、、
奥さんからのメールを着信した。
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