ねぇ。。と肩をぽんと叩かれて杉咲都子は我にかえった。
広場の端。
過ぎていく夏の低い直射日光とぐるりと囲む見物客にのぼせると杉咲都子は発作した。
誰かにスイッチを切られたかのように振っていたシルクハットの手が止まる。
誰よりも一瞬早く察知したその場の主(あるじ)、大道芸人が駆け寄った。
アップになったピエロの顔。
目の傍でメイクに汗が混ざっていた。
白く塗りたくられた顔中のシワが深い。
カラーコンタクトの下で濁った瞳が歩んで来た苦労を語っていた。
キモチワルイ
冷静に正直な感情を確認すると事態は自己収拾された。
目を閉じて鼻だけで深く息を吸い込む。
杉咲都子はすいませんと小さく笑顔をつくると残りの芸に付き合った。
ぱらぱらとした拍手を聞きながら飯山さんの隣りに戻ると上気の引かぬままできるだけ平然と言ってみる。
まだ見ます?
別の演目が始まる気配に一旦切れた客の注目が再び集まりだす。
隣りの幼児だけまだ私をじっと見ていた。
もう行こうか、飯山さんはそう言うと私の左手を引いた。
空気を読み違う事は今日もない。
少しづつ大きくなり出した人の環から抜けると背中で次のパフォーマンスがどうやら開始した。
広場は全体が賑(にぎ)わい始めていた。
レストランの入るメインのビルから人が溢れ出ている。
噴水の傍に設置されている欧風の時計が2時になろうとしていた。
ビルのすぐ前まで来て飯山さんの促しに軽く頷いた。
ランチを終えて出て来る人の流れに逆らいながら広いつくりのエントランスをくぐる。
冷やし過ぎている建物内の空気が杉咲都子にはちょうど良かった。
休む?
大丈夫です
やっぱり休む
そう言うと飯山さんは安心の笑みを惜しげ無く向けた。
すぐ近くの少し高そうなカフェに入る。
向かいのファーストフードの店は列が外まで伸びていた。
飯山さんはいつも通りに私に聞いてからウエイターに喫煙席を指定した。
店内を見渡せる方に座る。飯山さんはいつも通りエスプレッソのはず。そして私にはケーキセットを薦める。
早々にメニューを置くと飯山さんは中央の灰皿を自分の方に寄せた。
私はメニューを立てた。
かちかちとライターの音。
それが合図。
飯山さんはオトナからオジサンになった。
見たくない。
食べ終わって、
一服して、
手を握られて、、
いいかな
メニューを閉じると私の答えを待たずに飯島さんはウエイターを呼んだ。
私はいつも通りにチーズケーキを頼んでわざとレモンティと意表をついた。
大袈裟にえっという表情をつくり笑った。
おそらくワザと。
2人きりになると見せる緩んだ顔だった。
中年の笑顔。
飯山さんは私が好きだ
飯山さんは過去と現在を何でも話す
大人なので未来は何も話さない。
私は飯山さんを好きなんだと思う
私は何も話していないし何も聞いていない
子供なので未来ばかり。。考える。
結局何も “していない”
いつの間にかテーブルの端に置かれた封筒に指をつけた。
2万円が入っているハズ。
そのままそっと飯山さんの方に戻してみた。
3ヶ月前の誕生日。
雨の新宿でカククンと出会った。
次の日から一切の妖精が出なくなり代わりにか発作が出るようになった。
スイッチを切られる
誰に
カククン?
飯山さんと会っているとカククンの事は考えなくて良かったハズのに、先週からカククンは飯山さんといると現れる。
かつてのユメのオトコはもう夢には決して出て来ない。飯山さんといないとだんだん現れない。
どうして
カククンを一層探していた。
あの日。
雨が上がり2人で海を見に出た。
カククンの家の近くの砂浜で波を見ていた。
やがてカククンがうとうとと私の膝で眠る。
白々と空が明るみ黒い海が引いて行くと私も眠った。
スイッチが切れた
そして朝日のあまりの眩しさで目が覚めるとカククンはいなかった。
私は私の町に戻って独りになって妖精も見えなくなって何度も発作した。
飯山さんはやさしかったよ
最初からやさしかったんだよ
2人きりになると大人からオジサンになる飯山さん。
私はそれが最近とっても嫌いな気がする。
キモチワルイ
そう思っているのだろうか。
カククン。。
飯山。。
カククン。。
アイタイヨ。。
放り出したカバンから缶バッチが転がった。
昼間の大道芸の参加賞。
あらためて手に取ると大きさの割に軽かった。
表面のビニールが光沢を失っている。
その下であの大道芸人が昼間よりは少し硬い笑顔をつくっていた。
裏に聞いた事のあるようなサーカスの名前がプリントされている。
安全ピンの留め具の端が少し錆びていた。
今の杉咲都子の手の中では缶バッチはいつまでも馴染まない。
ちっともダメだった。
発作の事からカククンの事、妖精の事、オトナとオジサンの事、2万円、、
エスプレッソをおかわりして、飯山さんは黙ってじっと聞いていた。
急に話し出していた私はいつの間にか涙が流れてしまい、
そんな私に2人きりだったのにオトナの顔で最後にそっと微笑んでくれた。
ベットに寝転がってそんな事を少し思い返してから仰向けのまま缶バッチは部屋の隅に投げた。
どんと水道の止まる音が低く部屋に響く。
飯山さんがシャワーを終えた。
缶バッチはゴミ箱に僅かに届かずに音もなく絨毯に転がった。
天井を向いた写真の中で若い頃の大道芸人は古くさい衣装に包まれている。
“それらしく” 一輪車に股がって、その目は昼間の今よりもきらきらと輝いていた。
PR