「あ」
不意にあの人の気がそれてオオズモウナツバショの総括は中断した。
どうしたのと聞く前にあの人の後ろで雷鳴。どうやらカミナリさまの登場であの人の頭からスモウトリ達がぽおんと飛ばされた。「ちょっとごめ、、待っ」という言の葉にくっ付いた気配。あの人が立ち上がる様子が受話器から伝わった。なあになあにとカワイイ声で応える代わりにわたしは向こう側の音をひっそりと聞いている。すぐにあちらより神の鳴りを再び受信した。二発目はタメてるって風なやや小さな奥深いごごごごご。わたしは受話器を握ったまま眼を閉じた。
あの人、相撲もスキなのね。
次のバショは七月で名古屋だから注目はコトミツキでなんでかって言うと、
なんでかって言うとー、、
その訳はね、
その訳はー、、
わたしはずいずい身を乗り出して二人の距離を詰めていた。
今、沈黙。
息が触れ合っているからわたしはあの人と一層に繋がった。
わたしは瞼の内で眼を細めながらあの人のマンションを想像する。あの人はどうしても雷が見たくなっちゃった。ベットから起き上がり窓に近づいて外を眺めているあの人。わたしはわたしの部屋の灯りを消して受話器を持つ手に力を込めた。隙間の残りを埋めてしまいあの人の部屋へと飛んでゆく。
「だんだん近づいてる」
こっちにおいで、そう言って空を見上げたままあの人はわたしを窓辺に促した。
意外と広いのね、、
カーテンの開かれたガラス窓に部屋が映っている。
意外と狭いの間違いでしょ、
ちらとわたしに視線を落とすとそう言ってあの人はにやりと薄く口を開けた。
空が明滅する。
すぐに爆音が頭上で轟いたが稲光は見えなかった。
「近いね」
止めていたのかあの人が息をそっと長く吐く。
次かな、、
わたしは空を見ている振りをしてあの人を見て言った。
近くにいるのに遠いような淡くガラスに映るあの人をさっきから見ている。
「中に入ろっか」
ナカにとわたしが聞く前に彼はカーテンを二人の背後に引いた。
「来るよ」
ぐっと二人で空をにらむ。
写真とか撮れば、、
んんー、
ビデオとかさ、、
その方がいいかな、
あの人はやんわりと興味がない。
一秒の間を置いてあの人がつぶやいた。
記録より記憶派なのかな、
ワザと低い声を出してから大袈裟に笑う。
コレ誰の言葉、
知らないわよ、、
スキ。
わたしは想う。
さっきよりも短く控え目に空が明るんだ。間を置かずにぱりぱりと弱い雷の音。力をためるというよりも申し訳なさそうに光も音も厚い雲に吸収された。
あの人が座ろっかと言ってアグラをかいたのでわたしも隣に体育座りした。
なんかテントみたいね、、
テント、
そうインディアンのやつ、、
インディアンのテント、
唇の端に笑みを浮かべながらあの人は満足そうに周りを見上げている。どうやらイイコト言っちゃった。二人が座ってできた下の十センチの隙間とカーテンレールの幅で天井からおそろいの光が部屋から洩れている。それからしばらく二人で黙っていた。安心感がテントに充満する。眼が慣れてきた。どんどんどんどん雲が流れている。
わたしね、、
わたしは受話器を持つ手を替えた。
うん、
あの人の相槌がようやくという感じでまだ慣れぬ方の耳の奥に届く。
眼を開けると蛍光灯の残光が少し綺麗だった。
わたしね小学校の時の夏休みの宿題で絵日記を描いたのね、、
ヨリヌキエニッキって知ってる、、
あの人の応えを待たずに選り抜き絵日記を説明した。
あの人は空を見ている、空を見ながらわたしの話にじっと集中している。
わたしはそれを聞きながらぼそぼそと話を続けた。
一年生の時、、
父に連れられて初めての相撲観戦に行ったの、、
それでその日を日記に描く事にした、、
相撲の事は何も憶えてなくて、、
ただ、すり鉢状の中で大勢が中心にぐっと意識を向けてて、、
それがどんどん強まっていった、、
ずいぶん後ろから観てたんだけど、、
なんかそれがちょっと恐かった気がする、、
わたしは受話器を持ち替えた。
慣れた方の耳であの人の息を聞く。
あの人もわたしを聞いていた。
黙ってしまうとまた息が交わってくる。
わたしは話を続けた。
「肌色?」
そう、クレヨンのはだいろってあったでしょ、それ。
そう言ってから、わたしは手持ち無沙汰でウデを伸ばしたついでに触ったヒモを引いた。
現れた無機質な部屋にあの人の声そっくりの音の信号がやさしく微熱を散らしてくれる。
父にね、、
怒られたの、、
多分、最初で最後、、
普段寡黙な父が「人はこんな色じゃないぞ」って、、
力士をはだいろのクレヨンで塗ったら、もっとよく見なさいって、、
やんわり言われたはずなんだけどびっくりしちゃった、、
それ以来、肌色恐怖症、、
ハダイロを使うのにチュウチョするコドモでした、、
だからクレヨンも色鉛筆も「はだいろ」だけいつもまっさら、長いまま、、
なんかお相撲の話聞いてたら思い出しちゃった、、
「ぼくはー」
背後で三度目か四度目のカミナリが鳴っていた。
あの人は話を続ける。
あの人がわたしに向いていた。
「人なら何でも肌色で塗っていた子供だった気がする」
そう、、
愛しいが過ぎて、わたしは再び眼を閉じた。
カーテンが一人分膨らんでいる。
わたしはあの人の部屋の灯りを消した。
やぁ、
そっとカーテンの中に入るとあの人が言った。
やぁ、、
あの人の隣にしゃがみながらわたしも言ってみる。
あの人はまだ窓の外を見上げていた。
大分散れた雲が高速で流れている。
雲間に星がちらちら見えた。
絨毯に投げ出された手を不意にわたしから握ってみる。
スキよ、、
あの人の手が一瞬こわばってすっと脱力した。
触れると意外と細く華奢。
「もう夏なのかな」
わたしを見ずにあの人が言った。
え、どうして、、
雷ってなんか夏のイメージ、
言われてみればそうかも、、
夏さ、
あの人が言いかけて空が光る。
一筋の稲光をちょうど真直ぐ前の遠くの空に見た。
最後かな。
閃光は一瞬のそのまた一瞬だけ細く長く走り抜けた。
あの人の手に力がこもる。
繋いだ手からあの人の熱がじわと伝わってきた。
「夏さ、旅行行こうよ」
あの人が手首を返してわたしを握り返す。
あの人はうっすらと汗をかいていた。
そんなものわたしがどんどん吸い取って上げますよ。
逆の手でそっと窓に触れるとぴたりと冷たさが指に吸い付いた。
よくわからない。
もう夏なのかまだ春なのか多分誰にもはっきりしない境目の季節だった。
雲は減りながら小さくなりながらどんどんどんどん流れていく。
明日はすっきり晴れるのかもしれない。
よくわからない。
それからもわたしとあの人は、
手だけ触れ合っていた、
夜が明けてしまう迄、
その一瞬、
カーテンの中で、
窓に映る淡いお互いを、
なんだかにやにやといつまでも眺めていた。
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